ボットンクラブの生い立ち

もともとは大学の軽音楽部の先輩・後輩の間柄(かのアジカンと同じサークル・笑)
学生時代は4人がそれぞれ別にバンドを組んでいた。
やっていた音楽ジャンルは近ちゃんがメタル、王様はロック、よしなりとふかせは何でもあり…など様々。
2006年、よしなりの「せっかくやってた音楽、やめちゃうのもったいなくない?」の一言で
よしなり(Dr)、近ちゃん(G)、ふかせ(Vo/G)の3人で遊び感覚でスタジオに入る。
最初はベースがいなかったため、片方のギターの低音を目一杯上げてベースの代わりにしていた。
やっていた曲が「Joy to the World」
2007年、王様と久々に再会したよしなりが「ベースやってよ」と本来ギタリストの王様に声をかけ4人編成になる。
当然のことながら王様はベースを持っておらず、しばらくの間ベースを借りていた。
その後、山口に帰省した友人の眠っていたベースを復活させた。現在も大切に使わせてもらっている。
練習場所は、横浜鶴見のスタジオ「クラブトップス」(現GREEN ROOM STUDIO )。
ペースは遅いながらもオリジナル曲を作り、カバー曲を増やす。ボツ曲の数も多数。
バンド名は長〜〜いこと決まらなかったが、2009年に蒲田のライブハウスで初めて人前に出るにあたり、
スタジオ名の「クラブトップス」
→ひっくり返して「クラブボトム」
→ひっくり返して「ボトムクラブ」
→英語で「BottomClub」
とし、これをボットンクラブと読むようにした。
はじめは「ボットンなんて恥ずかしいわ」と照れがあって中途半端に「ボットムクラブ」などと名乗っていたが、
カッコつけても誰も覚えてくれないため、開き直って現在の「ボットンクラブ」に落ち着く。
すると知名度がグンと上がって覚えてもらえるようになった(笑)
今後は略して「ボンクラー」と呼ばれてみたいものだ。
初期の頃に演奏していた「ハイウェイ」や「Blue Jean」そして「旅人」は昔からあった曲を焼き直していたもの。
4人で一番最初に作った曲は「華麗なる休日」
初めての編曲作業に四苦八苦しながら、それでも4人で作った曲が出来上がり、バンドとして新しい一歩を踏み出した感覚を
今もメンバー全員忘れずにいる。
その後曲作りの間隔がかなりあいてしまい、ライブでも同じ曲ばかりを演奏していたが、2015年頃からようやくピッチを上げ始めた。
当然ボツになる曲もたくさんあるものの、その中でメンバーが楽しめる曲を試行錯誤しながら、現在もGREEN ROOM STUDIOや高輪のStudio Baydで練習を重ねている。
バンドサウンドのポイントは
「😇天使のハーモニー&ロック」
3声コーラスハーモニーとギターハーモニーがウリ。
定期的なイベントは、夏(8月)に横浜FAD、冬(1月)に新大久保Hot Shotにて。
ゲノビズム・白石清磨主催の「音の日」ライブイベントに参加していたがコロナ禍以降イベントとともに終了。

